賢さん通信3号

尻に火が付いた私、二浪仲間の「とし坊」

こんにちは!株式会社琉球補聴器、代表取締役の森山賢(けん)です。賢さん通信第3号をお送りいたします。どうぞよろしくお願いいたします。

さて、前回、首里高校の体操部時代のお話を書かせていただきましたが、今回は首里高校を卒業し、2年間の浪人生活を送ることになったことについてです。

中学時代、校内で成績が良かった私は、進学校の首里高校に入ったのですが、蓋を開けてみると中の下。中学の時と違うなぁと思いつつ、あまり勉強という勉強はしていませんでした。体操部の部活動が終了し、これから受験勉強というとき、進学校ということもあって、周りは大学合格を目指し黙々と勉強をしていました。

ところが、森山少年がそのとき思っていたのは、「何のために大学って行くんだろう?」ということ。父も母も大学を出た人ではありません。何のために大学に行くのか、その目的がわからず、また、皆が行くから行くでは納得できなかった当時の私は、勉強に身が入るわけもなく、普通に浪人することになりました。ただ、私は第二次ベビーブームの世代なので人数も多く、当時、同じ学年に500人以上いたと思いますが、浪人する学生も本当にたくさんいました。

一浪が決定し、予備校に行くことになるわけですが、まだ勉強に身が入りません。理由は同じです。何のために大学に行くのか、それが全くわからず、予備校の教室には行きますが、心ここにあらずで、結局、遊んでばかり。そして、その頃に彼女もできまして、余計に勉強に身が入らなくなり、そのまま受験シーズンに突入してしまいました。結果は当然と言えば当然です。どこも受かることがなく、二浪が決定してしまいました。ところが、そのとき衝撃の事実が・・・。なんと、いっしょに遊んでいたはずの彼女は受かったのです。それも志望校に・・・。

彼女は東京へ行ってしまいました。私はそのときになってやっと、尻に火が付きました。おれはいったい何をやっていたんだ!大学に行く目的なんてどうでもいいじゃないか!このままでは彼女にも会えないし、ダメ人間になってしまう!と目が覚め、予備校も変えて2年目の浪人生活が始まりました。ちなみに、その予備校は、今はありませんが光義塾予備校というところで、そこでは早慶上智を目指すクラスに入り、猛勉強をすることになるのですが、そこで再会を果たしたのが、ガレッジセールのゴリさんこと、とし坊(照屋年之君)でした。彼とは首里高校時代の同級生で、二浪仲間となりました。

私も早稲田を目指して猛勉強。人生であのときほど勉強した日々はないくらい、本当に寝る時間以外は全て勉強にあて、伸びしろしかなかった私は、ぐんぐん成績が伸び、初めて勉強が楽しいと思えました。そして、受験シーズンに入り、私はとし坊といっしょに飛行機に乗っていざ東京へ。そこからお互い励まし合いながら、いくつもの大学を受けていきました。

結果、やはり受験は甘くはなく、早稲田、中央、明治、日大、法政と落ち、第6志望の東洋大学に入ることになりました。ちなみに、とし坊も早稲田は落ち、日大へ。

それでも、晴れて大学生になることができた私は、東京に出てすぐ彼女に会いに行きました。ところが、なぜか彼女はよそよそしい・・・。そうです。その1年の間に彼女には彼氏ができていたのです・・・。その日、私は一人枕を濡らしました(号泣)。


編集後記

とし坊は大学を2年生のときに中退。吉本興業に入ったのですが、全く売れていなかったその当時、彼が渋谷で行っていたライブに、東京にいた首里高校の仲間で“笑い係”としてよく応援に行っていました。しょうもないことにも皆で笑い、すると、周りもつられて笑う。そんなことを何度も繰り返していく中で、本当の人気も出てきて、いつしか笑い係は必要なくなりました。今となっては、とても良い思い出です(笑)。