賢さん通信19号
島袋卓也君との出会い
こんにちは!株式会社琉球補聴器、代表取締役の森山賢(けん)です。賢さん通信第19号をお送りいたします。どうぞよろしくお願いいたします。
さて、前回の賢さん通信で、耳に掛けないマスクが誕生したことを少し書かせていただきましたが、おかげさまで完売いたしました。誠にありがとうございました。
今回は、その耳に掛けないマスクのプロジェクトで、リーダーを担ってくれました、島袋卓也君(30歳)のことを、ご紹介させていただきたいと思います。
新卒採用に力を入れている琉球補聴器では珍しく、卓也君は中途入社。現在2年目。ある日、ハローワークから私のところに卓也君の履歴書が送られてきました。さっそく面接をすることになったのですが、その面接の場で、私は、彼のことは絶対に採用しなければならないと、強く思いました。
卓也君には葵(あおい)君という2歳のお子さんがいるのですが、実は、その葵君が先天的な難聴児なのです。先天的な難聴児が産まれる確率は0.1%、1000人に1人と言われています。なので、どの親御さんも、現実をなかなか受け止められず、自分を責めて、とても悩まれます。卓也君もずいぶんと悩み、以前はビル管理会社で営業をしていたのですが、それどころではなくなり、会社を辞めていたのです。
そういった中、卓也君は沖縄県聴覚障害児を持つ親の会さんの集まりに参加するようになったのですが、実は、そこでたまたま、琉球補聴器がお手伝いで参加していたときがあり、卓也君はそのときに、琉球補聴器の存在を知ったとのことでした。
その後、卓也君は一家の主として働くために、ハローワークに行き、そこで偶然、琉球補聴器の求人を見つけ、履歴書を送ってくれたのです。そして、葵君をきっかけに、もし、自分自身が補聴器というものを仕事にすることができれば、一家の主として給料を得られるだけでなく、聴覚障害児である子どもに対して貢献できるんじゃないかと、琉球補聴器に志願してくれたのです。
そういった話を聞いた私は、これはもう、絶対に採用しなければいけないと思い、葵君をいっしょに育てましょうと、それで卓也君は入社することになりました。
ちなみに、卓也君は進学校、那覇国際高校の出身。ところが高校時代は勉強の目的が見出せず、卒業後は沖縄国際大学へ進学しました。ただ、大学で目覚め、一生懸命に本(とくに哲学書)を読み、そのため、卓也君はものすごく博識です。
また、今回の耳に掛けないマスクプロジェクトでも、卓也君は情熱を持って取り組んでくれまして、その姿に、仲間たちから一目も二目も置かれ、本当に素晴らしい仲間が加わってくれたのだと、改めて感じました。
卓也君は今、明るく前を向いて、家族3人で困難を乗り越えようとしています。先天的な難聴者の方は、補聴器では限界があり、手術をして人工内耳を埋めこむことが効果があると言われています。ただ、小さいお子さんのお耳や頭に近い部分にメスを入れるので、手術を受けるかどうかについても、親御さんは悩まれます。
補聴器では限界があるという現実も突きつけられ、究極の選択をされるわけですが、実は、葵君は昨年の秋に人工内耳の手術を受けました。そして、幸いにも無事に成功し、しかも、人工内耳の具合が良く、葵君はどんどん言葉を獲得していっているのです。私も社員のみんなも喜んでいるのですが、上手くいったので、実はこの夏、もう片方のお耳にも人工内耳を入れるということを、最近、卓也君と奥様が決められました。今は、その手術も無事に成功することをただただ祈るばかりです。
卓也君は、ときどき会社のイベントに葵君を連れてきてくれます。見る度に本当に大きく成長し、いつも福々しい笑顔で、会う度こちらが幸せな気持ちになります。
これからも琉球補聴器全員で葵君を見守り、そして、卓也君には琉球補聴器と出会って良かったといつか思ってもらえたらと、今はそんな気持ちでおります。