賢さん通信16号

私には子どもが5人います。

こんにちは!株式会社琉球補聴器、代表取締役の森山賢(けん)です。賢さん通信第16号をお送りいたします。どうぞよろしくお願いいたします。

「ニッポン 子育てしやすい会社」書影さて、私が日頃、勉強をさせていただいております、法政大学の教授で『日本でいちばん大切にしたい会社』などの著書で有名な坂本光司先生が、ちょうど1年前に出版された『ニッポン 子育てしやすい会社』という本の中に、実は当社も紹介されています。

全国8000社超を訪問・調査した坂本先生によると、「人を大切にするいい会社は社員の子どもの数が多い」とのことで、こちらの本の中で、その事例の1つとして紹介されました。

そして、実は私には、子どもが5人います。なぜ5人もいるのか、この5人が産まれるにあたってのエピソードをご紹介させていただきます。

まず、私は2人兄弟で、弟がいるのですが、まさか自分が5人の子の親になるとは、思ってもいませんでした。ではなぜ5人だったのか。実は、妻が5人姉妹なのです。そして、妻はお母さんことを尊敬しており、自分も5人産んで育てるんだという想いがあり、「じゃあオレたち、頑張らないといけないね」ということになりました。

なぜ頑張らないといけないと思ったかと言いますと、そもそも結婚をしたのが早くはなかったのです。私が35歳、妻が32歳のときに結婚しましたので、妻の初産も決して早くはなく、むしろ高齢出産に近く、5人の子作りを継続していくためには、お互いが健康で、また、健康だけでなく、仕事も上手くいって、経済的にちゃんと基盤が整っていることが大前提だったので、頑張らないとと思ったのです。

そして、本当に幸いなことに結婚をした翌々年に第一子となる長男が産まれ、その翌年には第二子となる次男、そのまた2年半後に第三子となる長女、さらに2年後に第四子となる三男、そのまた2年後に第五子となる次女が産まれ、妻の夢が叶いました。

この文面だけを見ると、とてもスムーズな感じですが、実は第三子のときは、だいぶ努力しました。と言いますのも、第一子、第二子が男の子だったので、第三子が男の子になるか、それとも女の子になるか、とても重要だったのです。

妻は、女の子がどうしてもほしかったのですが、ただ、こればかりは授かりものですし、自分たちで決められるものではありません。それでも、できる限りの努力はしてみようということで、「産み分け」をやってみることにしました。

ネットで調べると、産み分けに関する情報はごまんと出てきます。それらを調べに調べ、個人的には最も信憑性が高く、また、納得がいく情報を、購入する形で手に入れまして、それを実践していきました。それは、体質変更による産み分けでした。

簡単に説明いたしますと、男の子がほしい場合は父親がアルカリ性になり、母親が酸性になる必要があり、女の子がほしい場合はその逆。なので、私が酸性の体質に、妻がアルカリ性の体質になる必要があり、そのための食事を半年にわたって真面目に行い、そして、第三子として希望通り、女の子が来てくれました。

妻のお腹に第三子が宿り、妊娠6ヶ月の頃だったと思います。毎回いっしょに行っていた健診で、そのときのエコーで性別がわかり、産婦人科の先生から「森山さん、おそらくだけど、ついてないですねー(笑)」と言われ、そのときに妻がぽろぽろと、嬉し涙を流したのを鮮明に覚えています。

第四子、第五子はもう天に任せ、産み分けの取り組みはしませんでした。ただ、5人を前にして思うのは、もう性別はどっちでもいい。ただただ元気に産まれてきてくれただけで、それだけで幸せすぎるということです。

これからも、妻への感謝は忘れず、子どもたちには、ただただ、すくすくと元気に育ってくれることを願っております。私は本当に恵まれております。ちなみに、6人目の予定は、今のところ、ございません(笑)。