賢さん通信11号

伝説の社員、赤嶺さん

こんにちは!株式会社琉球補聴器、代表取締役の森山賢(けん)です。賢さん通信第11号をお送りいたします。どうぞよろしくお願いいたします。

さて、11月12日は琉球補聴器の創業記念日。創業32周年です。そこで今回は、琉球補聴器の創業時から一途に働いてくれている一番のベテラン、本店店長、伝説の社員と呼ばれる赤嶺さんをご紹介させていただきたいと思います。

赤嶺さんは、私より7つ年上で現在54歳の男性社員。私のよき相談相手と言いますか、参謀と言いますか、琉球補聴器にとってなくてはならない方なのですが、実は私の父が、32年前に採用した当初、半分ヤンキーだったようなのです。

当時、私の父は採用にとても苦労していました。いくら募集をしても人が来ないような零細企業。なんとかして人を採用しなければと、いくつもの学校を回り、そして、どんな子でもいいので紹介してくださいと、お願いをして行ったそうです。

そして、とある実業高校から紹介されたのが赤嶺さんでした。赤嶺さんは、今は髭など生やしていませんが、面接に来たときは、高校生でありながら、ちょび髭を生やしていたそうなのです。一事が万事ではありませんが、当時の赤嶺さんは、素行の良くない方で、いくつもの逸話が残っております。

まず、当時の赤嶺さんは、給料日の翌日を休みにしていました。理由は、給料が出た日にスナックに飲みに行き、朝まで飲むから。宵越しの金は持たないという江戸っ子のような社員でした。次に、赤嶺さんはバイクで通勤していたのですが、なんと、ウイリーをしながら出勤してきたようです。もう完全に漫画の世界です。

さらに、こんなことまであったようです。赤嶺さんは、営業として「行ってきまーす!」と元気よく外に出て行くのですが、なんとなく営業に行っている感じがなく、ただ、夕方戻ってきた赤嶺さんに、父が「今日、どこ行ってきたの?」と聞くと、ちゃんと答えるそうです。「今日は○○市の△△さんのお家を回ってきました」と。ただ、営業に行っている感じがない。ある日、父がお客さんに確認をしてみると、「来てないよ」とのこと。それでも、赤嶺さんに聞けば、「今日は△△さんのお家を回ってきました」と答えます。

そこで父は、赤嶺さんが営業に出たあと、念のため赤嶺さんの自宅に行ったようなのです。すると、開いている窓の隙間から、なんと、トランクス一丁になってテレビを見ている赤嶺さんがいたらしいのです。現行犯では押さえず、夕方、帰ってきた赤嶺さんに「今日はどこ行ってきたの?」と聞くと、またちゃんと答えたので、「あれ?今日、お家の窓から見えたけど」と伝えると、赤嶺さんは顔面蒼白。そこで観念して、ここが赤嶺さんの素敵なところなのですが、往生際が良く、正直に全てを話し、改心してくださったようです。こんな逸話が、いくつもあるのです。

そんな方なので、親御さんも結婚できるなんて思ってもいなかったようなのですが、今では奥様とそれから2人のお子さんにも恵まれた一家の立派な主です。

当社では一番長い生え抜きの社員であり、父が一番手を焼いた社員でもあり、今となっては一番会社を支えてくれている社員です。

そして、現在、本店の店長として若手を育ててくれていますが、気合い根性の時代の人なのに、接し方が柔らかい、マイルドなのです。マイルドヤンキーという意味ではありません。私といっしょにコーチングも学んでいるのですが、叱りつける、怒鳴りつける、頭ごなしに決めつけるということを一切せず、まず聞く、共感する、意見を引き出す、褒める、認める、励ますというコミュニケーションができていて、メンバーが安心して働いているのがよくわかります。

父が引退し、今では沖縄県で一番長く補聴器を触っている現役選手が赤嶺さんです。私にとって良き兄であり、よき先輩であり、よき相談相手、参謀、番頭であり、本当に本当にリスペクトしております。