賢さん通信2号
顔から火が出るほど恥ずかしい1分10秒・・・。
こんにちは!株式会社琉球補聴器、代表取締役の森山賢(けん)です。賢さん通信第2号をお送りいたします。どうぞよろしくお願いいたします。
さて、前号では、私がどういった経緯で沖縄に戻り、琉球補聴器で働くことになったのかなどを書かせていただきました。今回は、私がどういった人間なのか、もう少し知っていただきたく、学生時代の部活のとあるエピソードをご紹介いたします。
最近、はじめてお会いする方から、必ずと言っていいほど「森山さん何かスポーツされていましたよね?」と言われます。それも、スマートな競技ではなく、柔道や空手など格闘技系・・・(汗)。たしかに、そんな体型をしておりますが、実は私は中学高校時代、器械体操部に所属していました。あの内村航平選手がやっている体操です!
小学生の頃、私は「バク転ができたらかっこいいだろなぁ」と、純粋なのか不純なのかよくわかりませんが、子ども心にそう思っていました。そして、首里中学に入り、部活を探しているときに見学した器械体操部で、先輩達につかまるようにして、半ば強制的に入部となりました。中学時代の3年間で当初の目的であった、バク転もできるようになり、体操は中学で終了の予定でした。
その後、首里高校に進学。またどの部活に入るか決める際、なんとなく器械体操部も見学。すると、部員は2人のみ。監督もいない中、目の前に現れた森山少年は、めったにいない経験者!ということで、部の存続もかかっていたのでしょう。今回もまた、先輩2人による強引な勧誘で、なし崩し的に入部となりました・・・。
そして、入部間もなく、5月に出場することになった大会で、私はなんと沖縄県ではその当時、誰も出したことがない、おそらく未だに破られていない点数を出したのです。最高のではなく、最低の点数を・・・。
体操は、床・鞍馬・吊り輪・跳馬・平行棒・鉄棒の6種目です。団体戦は3名いないと出場できず、結果、入部間もない私も出場することに。そして、第一種目が鉄棒だったのですが、実は、私自身、経験者とは言え、中学時代にまともに鉄棒をしたことがなく、技という技は一つもできない状態でした。私はその大会の全選手の中の、一番最初の演技者。鉄棒という種目は、最低でも1分10秒以上ぶら下がっていないといけません。その前に落ちてしまうと棄権となり、チームに点数が入らず、迷惑を掛けてしまいます。
演技がスタートし、私はまずぶら下がりました。ただ、ぶら下がったままでは、腕力的にも、また、会場全体から注がれる視線に耐える精神的にもきついものがあり、とにかく鉄棒の上に身体を持って行こうと、技としてカウントされない、まさかの逆上がりをしました。通常、体操の選手は、勢いを付けてぐるんぐるんと回る車輪という技から始まるのですが、その基本もできない私・・・。さらに、手のひら以外の部分が鉄棒に触れると減点なので、逆上がりでいきなり減点・・・。
とは言え、大会という特殊な場。奇跡が起こるかも知れないと思い、練習でできたことがない車輪をそこから試みるのですが、あえなく失敗・・・。またぶら下がり状態。そこから、再度、逆上がりをしてみたり、前回りをしてみたり、懸垂をしてみたり・・・。全て点数になりません。会場中がざわつき、私は顔から火が出るほど恥ずかしかったのですが、ここで棄権してしまったら、チーム(先輩2人)に迷惑がかかると思い、なんとか、人生で最も長い1分10秒を耐え抜きました・・・。
そしてです。戸惑っていたのは、私や会場だけでなく、審判団も一緒。第一演技者の点数が基準となり、それ以降の人の点数が付きます。いったい何点になるのか、審議に時間がかかり、ようやく電光掲示板に表示されたその点数、0.5点!(10点満点中)私もはじめて見た点数です・・・(汗)。
あのときの経験があってから、どんな場にも耐えられるようになりました(笑)。そして、「練習は嘘をつかないんだ」と、強く強く思いました(笑)。